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Weekly English Explorations

1.ComeとGoの使い分け  2.不定詞と動名詞の使い分け  3.NoとNotの違いについて

 

3. NoとNotの違いについて (2005/8/24)  prepared by Okamura

英語におけるnonotの違いについて

) 英語におけるnoは何を意味しているのか?ゼロを意味しているのではないか?

以下の三文は、noという形容詞がその後の名詞(money, time, book)をそれぞれ修飾している例文である。  

 

I have no money with me. (私には手元に現金がない) 

    I have no time to study English. (英語を勉強する時間がない)

    I have no book(s) in my bag. (カバンには、本は一冊も入っていない)

 

   それに対して、下記の二文のnotは、いずれも動詞(be動詞、一般動詞attend)を否定している否定文である。

 

    He is not a student but a teacher. (彼は学生ではなく、先生だ)

    He could not attend the party because of his business. (仕事でそのパーティーに出席できなかった)

 

  日本語訳を比べただけでは、いずれのグループも否定文のように思われる。「〜ない」が含まれていて、存在や行為が否定されているからである。しかし、noが使われる実際の状況を見てみると自ずと違いが理解できる。

 

    I have a lot of (much, some, a little, little, no) money with me.

 

   この文の形容詞(句)の部分を眺めると、それぞれが量の程度を示す形容詞(数量詞)であることがわかる。この文をさらに量を明示した表現に変えると、

 

    I have much (some, a little, little, no) amount of money with me.

 

「たくさんの」、「いくらかの」、「少しの」、「ほんの少しの」、「ゼロの量の」と、それぞれの形容詞がmoneyの量を規定する形容詞(数量詞)として機能していることがより明確に理解できる。(また、many, some, a few, few, noが付く可算名詞の場合も同様である)

ここから、当座、次の仮説を導き出し、その仮説が、noを含む多様な表現の理解にどれほど有効なものであるかを検証していきたいと思う。

 

仮説: 可算・不可算の名詞の前に置かれたnoは:

()   noは形容詞で ゼロ数・量の〜」を意味する数量詞である。

()   noは、notと違い、一つの事象(指定、状況、存在、行為など)を否定するものではない。

()   noを含む文は、否定文ではなく、肯定文である。

 

2) Not more (less) than ~no more (less) thanの意味、用法の違い

 

a.   Not more than 5 people came to attend the party. (パーティーに出席したのは5人以下でした)

b.   No more than 5 people came to attend the party. (5人しかパーティーに出席しなかった)

 

   (a)では、more than 5(6人以上)という事象が否定されているため、その逆の「5人以下」の意味となる(全体集合がABの集合要素だけであれば、非A=Bである)のに対して、(b)におけるNoは、more than 5という事象を修飾するのではなく、moreという名詞(more peopleと同じ)のみを修飾・限定している形容詞であるから、「5人を超える人数」を意味するmoreの数量がゼロであることを表現し、さらに、more thanが話者の心理的な期待を表現しているとみなすと、その期待を超える部分がゼロ人ということで、意味は「5人しか」という意味になる(逆に、no less than 5は「5人も」の意)。ゼロ人とは、何かを否定しているのではなく、単に人数がゼロであることを示し、(b)文は、肯定文である。このことは、Who knows?  God knows.がいずれも「誰も知らない」と訳すにもかかわらず、否定文でないことが明らかであることからも推測できるだろう。

 

3)be動詞を否定するnotとゼロ量を意味するnoの事例

 

a.   He is not a teacher but a student.

b.   He is no teacher.

      

    (a)の前半は、He is a teacherを否定し、彼が先生以外の存在であることを示し、後半で、学生であるとしている。つまり、(a)は否定と肯定とが一体化した文と言えよう。それに対して、(b)は、否定文ではないため、but以下が提示されることはない。それは、(b)が肯定文だからである。つまり、He is no teacher but a student.は非文である。(b)の意味はというと、「彼は、ゼロ量の教師である」、つまり、「彼は教師としての資質はゼロである」、「彼が教師だなんて、とんでもない」等の意味となるだろう。ここでも大事なことは、日本語訳にひっぱられて(b)を否定文であると解釈しないことである。

    ここまで来ると、no more ~ thanを含む難解な表現も理解できるようになる。

 

4) No more ~thanを含む表現の解釈の仕方について

 

a.   A whale is no more a fish than a horse is (a fish).

              (鯨が魚でないのは、馬が魚でないのと同様である)

        

  日本語訳では、否定の「〜でない」が出ているため、noを否定の形容詞として解釈しようと躍起になり、それが叶わぬ努力と知って、これは慣用表現だからそれとして棒暗記してしまおう、と諦めたことがないだろうか。だが、これまでの議論から、この英文は、肯定文であることを前提に解釈を進めるとどういう結果が出てくるだろうか?

  分析しやすいように、(a)のそれぞれの名詞的要素を記号化してみよう。

 

b.   A is no more B than C is B. AC同様Bではない)

 

        この(b)は二つの命題、「A Bである」 と「CBである」とをno more ~ thanで結んで比較した文である。すでに、no more thanの説明で見たように、nomoreという名詞を修飾していて、moreがゼロ量であることを示す。ということは、「ABである」が真理である可能性と「CBである」が真理である可能性とはまったく同一レベルであるというものである。併せて、前者の命題が真実である可能性は、後者の命題が真実である可能性よりも高いだろう、という心理的期待が働いていることも考慮しておく。

    (b)文の前者の命題が真実であるかどうかの判断の根拠を後者の命題が真実かいなかに置いていることが比較構文の性質から理解できる。それでは、元の(a)の「馬が魚である」という命題にもどって考えると、単純に生活形の相違からこの命題が真実でないことは、誰にとっても明白である。ここには否定はまったく入り込んでいない。ただあり得ない、馬鹿げた命題が措定されているだけである。この馬鹿げた命題と、生活形が類似しているがゆえに、「鯨が魚である」とする本題としての命題の真実性とが同じレベルであるとしているのである。どこにも否定は入り込んでない。このことすべてを織り込んだ訳を試みてみよう。

 

    「鯨が魚であるという命題が真実である可能性は、馬が魚であるという命題が真実である可能性と同レベルである、ゆえに、馬が魚でないのは当然のことであるから、それと同じくらい明白に、鯨は魚ではないのだ」

   

    結論としては、A is no more B than C is B. の文は、「AがBである」もっともらしい命題を、実際にはあり得ない組み合わせとしての命題「CがBである」とを比較し、同一レベルであると言うことによって、間接的に、「AがBである」ことを否定しようとする表現である。この文にはどこにも否定は存在しない。ただ、比喩的に否定しているに過ぎない。こうして、この表現の本来の意図がわかれば、容易に同種の新しい文を創ることが可能になるだろう。

 

2. 不定詞と動名詞の使い分けについて (2005/6/4)  prepared by Okamura

問題点: 他動詞の目的語として不定詞と動名詞が名詞用法としてよく使われますが、その使い分けをネイティヴはどうやっているのでしょうか?その境界線なるものを知りたいと思います。

解決法: 英語は、名詞が特に発達している言語です。一般的に英語における名詞には、三つの表現形式があります。動詞See(見る)を名詞表現にすると、見ることを意味するto see (不定詞: 例、I want to see you.)、seeing (動名詞:例、sight-seeing bus)、sight (名詞: 意味は、見る行為、見られたもの[景色、人物等]、視力、視覚、視界、見方)になります。この順番で名詞化(概念化)が進んでいると理解しておくとよいでしょう。元の質問に答えるならば、I enjoy skiing every winter. と I would like to ski this winter. とを較べると、前者は、enjoyするものの対象となるものが、すでに概念化しているものですから、名詞化(概念化)が進んでいる動名詞skiingを選びます。それに対して、後者は、習慣的なことではなく、これから〜をしたい、という意味では、一回きりの行為を指します。この場合は、名詞化がさほど進んでいない不定詞がふさわしいのです。まとめれば、習慣的行為の対象となる名詞は動名詞(もしくは純粋な名詞)、一回きりの予定的行為の対象となる名詞は不定詞(もしくは、a + 行為名詞)であると、一般化することが可能でしょう。

確認問題: それでは、「私はたばこを吸うために立ち止まった」を英語にするとどうなるでしょうか? そうです。これまでしてきた継続的な行為を中断するわけですから、 I stopped walking to smoke a cigarette.となります。もう一問、「私は、英語をマスターするためにアメリカに行く決意を固めた」はどうなるでしょうか?これは、アメリカに行くのは一回きりの予定的行為なので、I have decided to go to America to master English.

 

 

1. Come と Goの使い方について (2005/05/30)  prepared by Okamura

問題点: Come とGoを日本人はよく間違えます。  Here and thereが日本語では、「あっちこっち」、Come and go 「行き来する」等の語順に見られるように、英語と日本語ではまったく逆の順序になっています。また、日本語の「行きます」、「来ます」をそのまま英語に訳した場合、問題が生じるのが、前者で、状況によってGoにもなれば、Comeにもなるからです。一体、Comeと Goを現地の人たちはどのように意識の中で区別して瞬間的に判断し用いているのでしょうか?

解決法: その理由は、英語のGoは、「話者同士の間の距離が離れること」を、Comeは、「話者同士の間が接近すること」を意味しているからです。例としては、I will come to you tomorrow. (わたしは、明日、あなたのもとへ行きます) この場合、 I と Youとが接近。 また、ある人が玄関のドアをたたいていて、「はい、行きます」(I’ll be coming.)と言いますが、この場合、ドアをたたく見知らぬ人と I とが接近しているからです。またさらに、パーティーの席を立たねばならないときには、I must be going.と言います。主催者と自分との距離が離れるからです。

確認問題:  それでは、日本にいる私が目の前にいる母親に対して、「僕、アメリカにいるトムに会いに、飛行機で飛んでいかなくちゃならないんだ」と言ったとしたら、どう訳しますか? 答えは、もちろん、Mother, I have to go (=fly) over to America to meet with Tom. となります。つまり、母親と自分との間の会話ですから、二人の間の距離は離れることになるからです。

 

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